縁が繋がるまち、高階にニュースを!人の夢にあいのりして応援したい。【任田和真さん】

大学卒業後に世界一周の旅、その後七尾市の地域おこし協力隊として活動中の任田さん。「人の夢にあいのりしたい」と何か挑戦したいと思っている人のサポートや、”集落の教科書”を発行するなど、様々な”ニュース”を生み出していらっしゃいます。「金持ちではなく人持ちに。」がモットーの任田さんの、人との出会いから生まれる面白い生き方に迫りました。

☑基本情報(プロフィール)
【お名前】任田和真(とうだかずま)

1991年石川県小松市生まれ。教員であった両親に憧れ、保健体育科教員を目指し日本大学文理学部体育学科へ進学。学生時代はサッカー部の主将を務め、卒業後に国際NGOピースボート地球一周の船旅に参加。その後国際NGOピースボート職員として勤務し、3年間で地球2周、約50カ国を旅しながら国際協力事業に尽力した。そして結婚を機に子育ての理想の地として「能登半島七尾」と出会い2018年4月に東京都から夫婦で移住。現在は地域おこし協力隊として七尾市高階(たかしな)地区にて活動し、2018年度末に「良いことも、そうでないことも、ちゃんと伝えたい」というコピーの元、集落のルールやしきたりをまとめた移住希望者向けの情報誌「集落の教科書」を発行し、編集長を務めた。

☑NGOピースボートの世界一周の旅を「やってみたい」とは思いつつも、実際参加に踏み出せない人が多くいるかと思います。任田さんが世界一周をしようと決めたのはどうしてですか?

僕は、父が中学校の体育の先生、母が小学校の先生という家庭で育ちました。自然と両親に憧れて、高校を卒業して保健体育科の教育免許を取得するために、日大の文理学部体育学科に進学しました。当時サッカー部に所属していて、サッカーに明け暮れる毎日でした。

-部活に没頭されていたのですね。

はい。充実していたのですが、20歳になった時にふと、「もしこのまま教師になっても、自分はサッカーしか教えられない、そんな先生全然面白くないぞ。」とハッと思ったんです。ちょうどその時に、社会人と学生の交流会を見つけて、見識を広げようと思い切って参加しました。そこで、交流会にいらっしゃっていたある社会人のスピーチの一言で人生変わりました。

- 一言でですか?

はい。その方はスピーチの冒頭で、「私は、これまでに世界を6周しました。」って仰ったのです。それを聞いてたまらなくなっちゃって。生徒の立場で考えた時に、「もし担任の先生が船で世界6周したことがあったら、そんな先生絶対好きになる。面白過ぎる。」とビビッときました。そんな先生像に憧れて、その場でピースボートに申し込みましたね。

-その場でですか!?(笑)。なかなかの行動力ですね。

「これだ。」と思って、出会ってしまいましたね(笑)。『世界6周』は、僕にとってあまりにも衝撃でした。

【初めての地球一周の船旅、出航の様子】

☑実際にピースボートに参加して、世界一周の旅をされて、そこでどんな世界が見えたのですか?

実際に船に乗ってみると、約1000名の方が乗船していましたが、そのうち二割が若者で、残りの約八割が定年退職を迎えたご年配の方々が乗船されていました。船上では、とにかく世代間の交流が活発でした。たくさんの国に訪れられたことももちろんですが、船の上での交流が想像以上に面白かったです。

-船の上での交流が面白かったということは意外でした。

約100日間で20~25か国ほどの国を訪問し、世界一周をしますが、そのうち訪問先の国に降りるのは30日くらいで、残りの70日は船の上で過ごします。バックパックを背負っての世界一周と決定的に違うのは、船に乗っている1000人が同じ体験をするところ。一つの国に行っても、1000人分の経験を持って帰ってくるから、1000人分のエピソードが船の上にあるんです。参加者同士でたくさん語り合い、経験して、アウトプットする。この旅を通して、自分の知らない世界、自分の知らないことがあまりにも多いことに気づいて衝撃でした。

【船上で行われる”大運動会”の様子】

-”自分の知らない世界”というのは、「国に降り立って感じた世界」と、「船の上での共有」を含めて”知らない世界”を知ることができたということでしょうか?

そうですね。自分とは全く違う境遇で人生を歩んできた同世代や、人生の先輩方と出会い、色んな人生や生き方に触れることができました。ずっと教員志望の体育会系という狭い世界の中でしか育っていなかった僕にとって、知らないことを知る体験が、たまらなく面白かったんです。また僕の行ったクルーズは、主に南半球を航海するクルーズで、東南アジアをはじめ、アフリカ大陸、南米大陸、イースター島やタヒチなどの南太平洋の島々などに行きました。訪問する多くの国は、いわゆる”発展途上国と言われる国が多かったです。そこに行くまで僕が抱いていたイメージは、ほぼ初海外だったのもあって、東南アジアやアフリカなどの”発展途上国=貧困、不幸せ”のようなイメージを持っていました。でも実際に、そこで暮らしている人たちと触れ合った時に、その純粋な表情や暮らしぶりがとても幸せそうだと感じました。

-実際に現地で見てみないと分からないですね。

国民の8割が1日2ドルしか使えるお金がないとか、内戦で両親を亡くしたとか、明日生きられるのか分からないという状況に置かれていても、家族や村人みんなで力を合わせて毎日を一生懸命生きていて、その日々の営みの中に幸せが感じられました。それを肌で感じた時に、自分の中の価値観が変わりましたね。

-どのように価値観が変わったのですか?

「日本での今の生活が、いかに恵まれていて、経済的に豊かなことで、世界では当たり前なことじゃない。」と気づきました。だから、「幸せってお金なのか?」とか、「人はどういう時に幸せを感じるものなのか?」など、人生における”幸せ”についていろんな人と対話しながら自分なりに深く考えました。そして、「幸せというのは、”気づく”もの。日々の当たり前の暮らしの中にこそ幸せがある。」という考えに行き着きました。それが、大きく変わった価値観です。

【ペルー砂漠地帯のスラム街”ビジャエルサルバドル”】

-なるほど。世界一周の旅の参加後は、どうされたのですか?

「ピースボートを降りたら、絶対に教師やります。」と父に約束していたのですが、世界一周してみたら、すごくモヤモヤしたんですよね。「自分は、世界のこと全然知らない。自分は世界のあらゆる社会問題に対して一体何ができるのだろう…」と思って、そのモヤモヤを抱えたまま先生になって教壇に立ち、生徒に伝えることはまだできない。いま自分が感じてることは、ちゃんと自分の言葉で消化できるまで現地で学ぼうと思い、国際NGOピースボートに就職しました。

-なるほど。3年間就職後、その後離職されていらっしゃいますよね。ピースボートの勤務は3年間と決めていたのですか?

いや、まったく。ピースボートの仕事は、多くの方を世界一周の船に乗せ、平和に繋がる機会を創出していたし、世界中に友達もできるので、本当に楽しかったしやりがいがあった。国際交流の事業を進めるときには、国連や、領事館、大使館など、普段接点のない人たちが仕事相手になりました。そのレベル感で仕事ができることって中々ないと思います。辞めるつもりは全くなかったのですが、きっかけはパートナーとの”結婚”ですね。NGO職員としてそれだけで家族を養っていくことは中々厳しい状況でした。自分に大切な人ができて、幸せのために一番優先すべきは、まずは”二人の暮らし”だったので、二人が幸せだと思うことを大切にしようと思いました。

そのために、これから5年間のうちに、やりたいことをお互い言い合って重なったことを叶えていこうという作戦会議を夫婦でやりました。それをやってみた結果、いま七尾にいます(笑)。それで、奥さんにやりたいことを聞いたら「田舎に住みたい、家族と暮らしたい、孫の顔を親に見せたい。」この3つしかやりたいことがなかった。じゃあ、それを叶えようと。

-それで、どうして七尾に移住することになったのですか?

僕たちのやりたいことが「田舎に住む」ことで、移住先を探していて、地元の小松(石川県)に帰ろうとも思ったのですが、どんどん都市化が進んでいた印象でした。イオンもあるし、これから新幹線も通るしね。僕らが求めていた農的な田舎暮らしがそこになかった。じゃあどうしようか考えた時に、「田舎=能登」ってイメージがあったから、全然行ったことなかったけど思い切って能登にしようということに。それで、ふるさと回帰支援センター(全47都道府県のIJUターン相談窓口)に行きました。そこの石川県のブースに行ったら、七尾市の移住コンシェルジュの太田殖之(おおた のぶゆき)さんと七尾市役所の移住担当寺田能武(てらだ よしたけ )さんに出会いました。

-まずは移住相談窓口に行かれたのですね。

このふたりがいたから、僕は七尾に来たと言っても過言ではないですね。七尾に移住することに元々こだわりはなくて、今住んでいる高階(たかしな)のことなんてまったく知らなかった。太田さんにお会いした時に、「何したいの?」って聞かれて、人生相談が始まったんです。この人は、誰にでも移住を勧めてくる人じゃなくて、ちゃんとその人の人生について、相談に乗った上で一緒に考えてくれる人だと思って、凄く信頼しました。話していく中で、太田さんが伝えてくれる七尾での暮らしがすごく魅力的に感じたから、「一回行きます。」って、奥さんと一緒に七尾に来ました。

-その人が”どうしたいのか”まで聞いてくれた上で、相談に乗ってくれる移住コーディネータって中々いらっしゃらないのではないかと思いました!だから七尾には面白い方々が集まるのですね!

だから、七尾に来たのは太田さんのおかげですね!(笑)。