この世の中いい人ばっかや、悪い人はおらん。”まちづくりは仲間づくり”みたいなもんや。【今井 富夫さん】

【七尾青年会議所の30周年記念事業コンサートにて、挨拶を述べている今井さんのお写真とともに。】

まちづくり運動が、全国でも機運が高まった1980年代に、七尾のまちづくりの土台を築かれた今井さん。今井さんの活動に対する考え方の根底に、”人はみな仲間である”という想いがありました。人を温かく包み込むような、優しく穏やかな笑顔で迎えてくださり、終始和やかな雰囲気のインタビューとなりました。

基礎情報(プロフィール)
【お名前】今井 富夫さん
【ご出身】石川県七尾市古府町
七尾花正株式会社代表取締役会長、1987年度青年会議所理事長就任、七尾商工会議所議員、七尾市環境審議会会長、地域の任意団体のサポートも行っている。七尾マリンシティ推進協議会メンバーとして、1960年代の七尾市のまちづくり活動を推進。株式会社御祓川設立時に出資をし、現在まで株式会社御祓川に寄り添い、サポートをいただいている。

※七尾マリンシティ推進協議会
1987年1月8日設立。七尾青年会議所が描いた「七尾マリンシティ構想」の実現に向けて、市民を巻き込んだまちづくりを進める目的で推進協議会を設立。
地域・まちづくり、国際交流、経済活動の活性化、市民活動団体の支援を行っている。
港を中心とした「マリンシティ七尾」の実現を目指し、モントレージャズフェスティバルイン能登、クリーンビーチin七尾のほか、近年ではMC七尾元気トークなどの対話の場を創出している。

☑(マリンシティ推進協議会の方々が)まちづくりに情熱を注ぐことができた理由はなんだったのでしょうか?

面白い仲間が多かったからやろうな。

おれは、女房に「あんたそんな自分で金だして、馬鹿みたいにまちづくりやれ、人のためとやって…」と活動に携わっていた時に叱られとったんやけど(笑)

人生って人れぞれの生き方やからな。おれもたまに「こんなに活動に顔出してなくても生きていけるし、うちの会社のことやら違うことに力を注いだ方が、自分の人生や家族にとっては有意義なのではないか」とそういうジレンマに陥ったこともあった。

-ジレンマを抱えていた時もあったのですね。共に活動されていた方々はどんなお仲間だったのでしょうか

活動に情熱を傾けることが生きがいみたいな、みんなそんな仲間やった。だから自分のうちなんかほっといて、みんなでやらんか、ってな(笑)。そんな面白い仲間が多かったな。

☑七尾のまちづくりに携わっていた方々は「まちづくりは人づくり」と仰っていますが、どうして”人づくり”にこだわるのでしょうか

なんでも一緒やろ、会社もそう。

熱心に真摯に仲間を増やしていく。まちづくりは仲間づくりみたいなもんや。

人を育てるというよりは仲間づくりみたいな感じやな。話をする中で相手のことが見えてくるから、人の意見を聞くのは大事なことで、違った別の意見や考えもあるんかとなる。

☑今井さんが、青年会議所活動に参画するきっかけは何だったのでしょうか。

七尾青年会議所を知ったのは、28か29歳の時で「青年会議所に入らないか」と誘ってもらった。聞くところほとんどのメンバーが商売人で、七尾では老舗のご子息の方が入っていた。

自分の会社を起こしたのは、26、27歳の時だった。少しでも、商っている人たちとのつながりができることで、自分の商売にプラスになるかなと純粋に思った。あとは自分の自己形成になればといいなと思いながらやった。

商売に生かせるような人とのつながりと自分の自己形成になればと思い、参画しようと決めた。

-その頃、青年会議所の中でビジョンはあったのですか。

青年会議所の中に「明るい社会を築こう」という目標があって、その中でも”社会開発”と”人間開発”2つがあった。

最初はこどもに向けたボランティア活動といったことでだったが、まちづくり運動が1980年代から全国的に流行してから、青年会議所の社会開発の中にまちづくり運動の機運が高まってきていた。

だから、まちづくり運動が青年会議所の中でも注目されるようになった。

1980年代はまちも活気にあふれていて、それぞれの商売もそれなりに繁盛していた。

青年会議所メンバーがアンケートをとって、「何が七尾にとっていいのか、市民が何を考えていたのか、七尾のまちをどうすればいいのか」を、おれが33歳~40歳くらいの時に模索していた。

明日のことが心配な時代ではなかったけれど、「このまちはなんもない、娯楽施設もない」とか、まちに対する不満があった。

だったら、みんながいいまちと思えるようにつくらねばいかんな、という状況が1980年代にはあって、市民のための勉強会を開いたりした。

☑まちづくり活動のなかで印象に残っていること、辛かったことはありますか?

まいもん処いしり亭(七尾のお食事処)でみんなで飲んだり、活動が自分の寄り合い処になったし、俺にはつらい思い出はないな。全部楽しい思い出や。

―辛い思い出がないのは、大変なことも仲間と一緒に乗り越えられたからでしょうか?

”辛い”というのが何をもって辛いというのか分からんけど、俺にとってはまちづくり活動は本業じゃないし、それによって自分の人生が脅かされる、転機を迎えるといったことはないからな。

-まちづくり活動によって人生が脅かされることはないけれど、それでも関わり続けた理由は何だったのでしょうか。

そうやな、別にまちづくり活動は使命でもない。

まあ、関わり続けた理由は仲間やろ。ずっと一緒にやってきた仲間がいるからやな。

まちづくり活動をやったからといって勲章がもらえるわけでもないし、そこのメンバーで絡んで商売でもしようというわけではないからな。

-ずっと活動を続けられているのがすごいことだと思います。

そんなすごいことじゃないんだけどなあ、、(笑)

-まちづくり活動に参画されているみなさんは、誰かのためにまちづくり活動をされていて、尊敬します。

いや、”世のため、人のため”じゃなくて、みんな”自分のため”にやっとるんじゃ。結果的には人のためになるのかも知らんけど、みんな自分のためや。自分が活動を仲間とする上で楽しかったり、ライフワークだと思っているからや。

-マリンシティ推進協議会やまちづくりの活動は今井さんにとって、楽しい活動だったのですね。

今振り返るとそうだな。