株式会社御祓川の事業の3本柱である、まち育て(御祓川大学)・みせ育て(能登スタイルストア)・ひと育て(能登留学・能登の人事部)それぞれの事業で関わるパートナーの方々と株式会社御祓川社長 森山奈美の対談企画。
これまでの取り組みと七尾のまちづくりの歩みを振り返りながら、今後のまちづくりのあり方、まちづくり会社としての役割を考え、未来に繋げていきます。
今回の対談は、”ひと育て”の視点から、”能登留学・能登の人事部”に関わってくださっている【和倉温泉「多田屋」6代目 多田健太郎さん】にお話を伺いました。
【株式会社御祓川とのご関係】
長期実践型インターンシップ「能登留学」の事業を立ち上げて間もない頃の受入先。現在は、能登の人事部で社員研修のメニューをご利用いただいている。
※能登の人事部
地域(能登)に根づいた仕事が掲載されているWEB求人サイト。
移住を検討している方や能登でキャリアチェンジを検討されている方のサポートをしている。新卒のキャリア設計、兼業人材の新しい働き方、UIターン者の移住支援など、求人の「周辺」にある事柄をサポートしている。
【https://noto.work/】
※能登留学
大学生向けのインターンシッププログラム。課題を抱えている企業の現場に、インターン生が入り、地域や企業が抱える課題に取り組む。インターン生は、期間限定のプロジェクト担当者として活動する。
【https://notoryugaku.net/】
【和倉温泉の歴史ある旅館の経営者×民間まちづくり会社の経営者】
土壌を作るのが僕の仕事。人を育てられる人が増えていったり、自分で育とうと思ってもらわないといけない。(多田健太郎)
【対談者プロフィール】
●多田健太郎(多田屋 代表取締役社長)
1976年石川県七尾市生まれ。立教大学経営学部卒業。アメリカのカリフォルニア州で2年間の留学を経験し、㈱サイバーエージェントに入社。その後、多田屋の大阪営業所に1年、東京営業所に2年在籍し、2006年に多田屋へ。2015年9月に多田屋の代表取締役社長就任。「旅館を1泊2食の宿泊産業ではなく、地域の魅力発信産業として営んでいきたい。」と考えている。
●森山奈美(株式会社御祓川 代表取締役)
石川県七尾市生まれ。横浜国立大学工学部建設学科建築学コース卒業。都市計画専攻。
平成7年 ㈱計画情報研究所入社。都市計画コンサルタントとして、地域振興計画、道路計画等を担当。民間まちづくり会社㈱御祓川(みそぎがわ)の設立に携わり、平成11年より同社チーフマネージャーを兼務。平成19年より現職。
様々な主体が関わるまちづくりのつなぎ役として、能登の元気を発信し「小さな世界都市・七尾」の実現を目指して日々、挑戦中。
人が育つ土壌をつくるためのインターン生受け入れ
森山:私がすごく印象に残っているのが、能登留学を始めて間もない頃、「若者と共に育つ能登」のようなタイトルのシンポジウムを開催した時に、多田さんが来てくださって、会場から質問してくださったんですよね。
多田:あ~、なんて質問したか覚えてないですけど(笑)。
森山:多田さんがフロアから発言してくださって、その後に実際に能登留学の受け入れをしてくださったじゃないですか。あの頃といまで、多田屋の中でどんな風に変遷があったのかお聞かせいただけますか。
多田:あの頃は、多田屋で働いてはいましたが僕の会社ではなく、父の会社に僕が所属している感じでしたね。会社の流れをつくるのは父で、長いこと父と一緒にやっていた人たちの壁がありました。ただ、自分がその流れのままで行きたいかどうか考えた時に、このままではまずいと思っていたし、僕自身に課題が多くありました。当時は、自分のようにこれから新しいことをやろうという考えをもった人はそんなに多くはいなかった。若女将と二人で孤軍奮闘というか、どうやっていこうか、という話をその頃していました。
森山:そうなのですね。どんな課題を抱えていらっしゃったのですか?
多田:多田屋が抱えていた課題として、「将来自分達と一緒に頑張ってもらいたい」という想いを持ち、スタッフを採用した時に、旅館に若いスタッフを育てる土壌がなく、入っても辞めてしまう可能性が高かったことです。自分たちの会社の将来に向けてどうしたらいいのか分からず迷っていましたね。
森山:なるほど。
多田:迷っていた時に、一本杉通り商店街にお店を構えていらっしゃる高澤ろうそく(株式会社高澤商店)さんが能登留学のインターンシップの受け入れをされていました。しかも期間は短期ではなくて、結構長い期間やっておられました。
※能登留学
大学生向けのインターンシッププログラム。課題を抱えている企業の現場に、インターン生が入り、地域や企業が抱える課題に取り組む。インターン生は、期間限定のプロジェクト担当者として活動する。
【https://notoryugaku.net/】
森山:インターンの期間は半年くらいでしたね。
多田:そのインターンシップの受け入れをもしうちでやるときには、自分の会社のことを分かっていないと質問されても答えられないだろうし、それは自分の気づきになるなと。僕の経験値にもなるし、直接採用に繋がるわけではなく、多田屋の今後に向けて良い機会になる。それはすごくいいかもしれないと思って、話を聞きに行きました。
森山:へえ、そうだったんですね。
多田:実際にインターン生の受け入れをしようと決めた理由は、「若女将と自分で、若い子を育てられる土壌をつくろう。」という話になったからです。いきなり新卒の子を入れるのは難しいから、まずはインターン生に来てもらって、いまの多田屋でどれくらい人を育てられるのかというのを見たいと思いました。
森山:健太郎さんご自身が育ちたいという想いと、会社として人を育てていきたいという気持ちがあっての受け入れだったんですね。実際にどうでした?
多田:そうですね、最初にインターン生とキックオフ(目標設定)をするのも初めてだったので、「こんなのがあるんだ。」と思いました。ゴールをしっかり決め、中間報告もあってやっていくうちに、思ったより受け入れ側も大変で、それなりに覚悟がいるなと思いました。単に人手がいないからというのとはまた違うぞと。
森山:そうですよね。能登留学の受け入れには、受け入れ側の覚悟が必要ですね。
多田:インターン生のゴールも設定してあげないといけない。でも、自分が全部介入するわけにもいかないし、学生も自分自身で進んでいけるように頑張らなきゃいけない。
森山:その後も何人か受け入れて下さりましたよね。色んなインターン生が来てくれたのを思い出します。そのたびに、「健太郎さんはインターン生を見抜く力が的確だな。」と思っていました。
多田:個性豊かな子たちが来てくれましたからね(笑)。
森山:それで何年かインターンを受け入れられた後に、ここ数年は、社員研修でご一緒させていただいておりますが、現在に至るまでに、会社の中はどんな風に変わってきたんですか?
多田:最初にインターン生を受け入れた時は、「若い人たちが育つ土壌をつくる」ということでやっていましたが、土壌はもう結構できてきたんです。1ヶ月半多田屋に来た子たちをみんなで教育して、ゴールまで持って行ける状態まできています。今は、実際にインターンをして新卒で入った子たちのモチベーションが低くならないように3年、5年とどうやってそれを継続していくのかが流れとしてメインになってきています。つまり、社内の仕組み検証ためのインターンではなく、採用と関連したインターンという形で受け入れをしていますね。
豊かな森をつくるように、人が育つ会社を育てる
森山:研修をさせていただくようになったのは、健太郎さんが社長になってからじゃないですか?
多田:そうですね。うちは支配人や教育係もいないので、社員研修で御祓川さんに入って頂いて、内々でできるところと、外部の方じゃないとできないところがあるということに気づきました。
森山:多田屋において、人を育てていく上で大事にしていることってありますか?
多田:僕が育てるって思わないこと、かな(笑)。
森山:おお~!ケンタロウ節出ましたね!(笑)。
多田:土壌を作るのが僕の仕事であって、人を育てられる人が増えていったり、自分で育とうと思ってもらわないといけないなと思っています。その雰囲気を作っていくっていうのが僕のできること。僕は、直接人を動かすタイプじゃなくて、間接タイプ。「じゃあここに種植えるぞ!」と一個一個やっていくタイプじゃなくて、みんなで水あげたりとか、「ちょっとこの葉っぱ虫に食べられてるね。」って取ったりとか、それを自然にできるような環境を作ることが得意です。それが僕らしいんで、土壌を作るのを頑張っていますね。
森山:生態系を作る感じだよね。
多田:はい。豊かな森を作るイメージですね。”多田屋の木”というものが多田屋にはあるんですけど、多田屋の木の中で、最初、僕は土の役割だと思ってたんですが、総務の人に「私は土。」って言われちゃったので、今は、空はどうかなぁと思っています。
※多田屋の木
会社の目指す方向を示すのに、言葉より絵の方が伝わるのではないかという思いから、多田屋を1本の木、和倉温泉を森に例えた絵。色んな魅力の木(旅館や商店)と、その周りには色んな動物たち(お客様や業者さん)が集まり、豊かな森にするべく、絵を見ながら多田屋の魅力や役割を考えるもの。
森山:空!!
多田:適度に雨もいるやろうし、嵐の時もある。必要な時に「ここ日が当たった方がいいなとか、気が生い茂りすぎて下が育ってないな。」というのを上から見ている感じがいいかな。
森山:そうやねえ。私、多田屋さんに依頼をうけて研修をさせてもらったことがきっかけで、有難いことに他の会社に行くことも増えました。その中でも、「社内の人たちと一緒に会社の生態系をつくっていこう!」という健太郎さんのような考えの方って、まだまだ少数派だなと感じます。
会社が良くなるために、そこで働いている人が育つことが不可欠であるのと同じように、能登全体で考えた時に、1つ1つの会社が良くなっていくことはすごく重要だと思うのですが、そのやり方をどうしたらいいかをよく考えます。どうしていけばいいと思いますか?
多田:うーーん、難しいですね。リーダーのような人を育てようと言っても、なかなか素養がないと難しいところもあるし、あんまり期待や負荷をかけて潰れちゃってもね。毎日お客様を接客して、洗い物して帰るとか旅館のルーティンな仕事だけではなくて、もっと能登に携われる可能性を見せてあげられるようにしたい。
例えば、移り住んで来られて、能登の魅力を素晴らしい視点で発信されている方のお話をみんなで聞きに行ったりしてみて、能登の見方をみんなで学ぶ。仕事とそんなに関係ないんですけれども、どうしても仕事でいつも同じことをしていると視野が狭くなってしまう。だから、その視野を広げていくことで、「自分は能登でこれなら手伝えるんじゃないか。」と思える社員が何人か出てくるとすごくいいなと思っていて、旅館の領域からはみだしたいですね。
森山:なるほど、領域をはみ出すって面白いですね。
多田:そういうことをやっていって、「多田屋って、それでも会社としてちゃんとやれる。」と少しずつ評価が集まってくれば、能登全体でそれをシェアしながら盛り上げていくことができるのではないかと思います。まずは自分の足元をしっかりと固めようと考えています。
添加物を入れずにありのままの能登を伝える
森山:多田屋って、「こんなイメージで能登をお伝えしたい」というのをプロデュースしている感じがします。何か意識していることがあるのですか?
多田:添加物をあまり入れないことですかね。
森山:へえ!ありのままを見せるってこと?
多田:素材をちゃんと見せてあげたいなと思っていて、「能登っていいとこでしょ?」っていうのを着飾らせてやりたくないんですよね。
森山:なるほど!
多田:「え、これ土ついとるやん。」みたいな感じでもいいから伝えて、それが良いと思える人に届けられればいいと思っています。
森山:私、志賀町の遊覧船の動画、シュールだけど好きなんですよね(笑)
※能登金剛遊覧船の動画
https://tadaya.net/nototsuduri/landscape/detail8/
多田屋ホームページより
多田:肩肘張らない感じの、ありのままの様子のね(笑)。ネットで何人も見るからって、普段と違う感じで、地元の人が標準語で話したりするとなると、「なんか違うな。」って思うんです。通じなくてもいいから、そこはバリバリの能登弁でいってくれた方が、ありのままな感じで良いと思うので、それが出せるような空気感をもって取材に行きましたね。最後のお礼の時に、「多田屋です。」ってちょっと言うぐらいで、あとは取材の人がメインになるようにしてました。
森山:なるほどねー、面白いですね!
森山:能登全体のことをやらなあかんと思いつつ、でも自分たちのできる範囲のことって限られるので悩ましいところだと思うんですよね。健太郎さんがよく仰られるのが、「多田屋だけ良くてもダメで、能登はとても素敵なエリアで、その中にある多田屋。」そんなスタンスでおられるから、そこで試行錯誤している部分もあるのではないかなと思います。
多田:そうですね。自分は能登が好きだからそうしたいと思っています。別にそれが正しいとか、その他の方法を否定するわけじゃない。
森山:その通り。
多田:「みんなが同じ方向を向かないとダメだ。」という話ではまたちょっと違ってくるし、無理にベクトルを合わせるのは大変だと思う。好きで楽しんでやってる感じで、その楽しい感じに乗っかりたいという人たちがちょっとずつ入ってくれたら、良い形ではないかなと思います。
森山:本当ですね~!
足るを知ることと、新たな挑戦をすること
森山:そういう考え方って、どうやって培われたのですか?
多田:うーん、、孤独の中から?(笑)。
森山:おっと!?(笑)。
多田:いや、なんか言葉にするとあれですけども、旅館に入ったとき孤独だったんですよ(笑)。スタッフと関係性が構築できていなかったし、若女将はホームシックになっちゃうし、親父とは顔を合わせるタイミングがない。あと、僕は前に別の企業にいたこともあって、こっちに帰ってきてから家業と企業の違いに結構文句を言ったことがあって、会社の中で浮いた存在になってしまった時もあり、厳しい状況に陥りました。四面楚歌のように感じてしまい、「誰にも必要とされてないんじゃないか。」と思ってしまったこともありました。
森山:そうなのですね。そんな大変な状態から、土壌が少しずつ良くなっている今の状態までのV字回復のポイントって何だったんですか?
多田:”足ることを知る”ですね。
森山:仏教用語ですね。
多田:自分は、「多田屋には、自分と一緒に何かやろうとする人がいない。」って決めつけて、外から協力者を呼ばないといけないと思ってたんですよ。
森山:最初はね。
多田:「良い人材いないかな、でもお給料も高いし、そんな給料決められる権限もない。」そう思いながら、どうしたら来てくれるかばかり考えてたんですよ。でも、そんな事ばかり考えてる人と誰が一緒に働きたいと思うか、ということに気づきました。
森山:それって、自分で気づいてハッてしたの?
多田:外で人を探して行こうとするけど、そこの限界もきていて、どうしていいか分からなくてだいぶ迷ってたんですけど、もう一回ちゃんと足元見ようと思って自分の会社を見直してみました。そしたら、いま自分とは関係が築けていないけど、一生懸命会社と向き合ってくれている方がいらっしゃって、その人たちとの人間関係ができれば、自分の気持ちも理解してもらえると考えました。勝手に壁を作ってたのは自分の方だったとそれで気づきましたね。その人たちと関係をつくっていくことを考えられた時が、自分のターニングポイントでした。
森山:素敵です。それって、経営者としての成長みたいな部分ですよね?
多田:そうですね。
森山:経営者を育てるのは本当に難しいと思うんですよね。甘やかした状況じゃ、優れた経営者は育たないし、、だからといって辛い部分だけでもね。経営者教育の重要性を最近思うんですよね。
多田:経営者の器以上に会社はよくならないっていうのはすごく社長になってみて分かりましたね、だから強くなりました。まずは自分が成長しないと。
森山:いや、本当に。そのことに気がつけるかどうかですよ。
森山:「どんたく」の亡くなった先代が、「『成長することをあきらめない』という言葉が俺は好きなんや。」とよく仰ってたんですよね。それで言うと、今の時点から自分がこう成長したいというイメージってありますか?
※どんたくの先代: 山口成俊さん(享年60)能登を代表するスーパーマーケット「どんたく」を牽引してきた経営者。株式会社御祓川の創立メンバーであり、代表取締役専務を務めていた。2016年3月に急逝。
多田:ありますね。
森山:どんな風になりたいですか?
多田:自分を幹だとすると、もっと茂っていける枝のように、ポテンシャルを持った良い子達が社内にいるので、旅館の仕事の枠を超えた仕事をさせて、大きく育ててあげたいと思っています。
森山:旅館を超えた仕事?
多田:旅館って忙しいシーズンのオンオフが凄くあるんです。オフシーズンは旅館をクローズしてもいいのではないかと思うくらいです。
森山:そうなのですね。
多田:極端な話、オフシーズンは2ヶ月休みにしてその期間、うちのスタッフは例えばお取引のあるお菓子の業者さんに手伝いに行ってみる。そこでコンサルじゃないけど、一緒に働きながら「こんな商品開発をしたらいいんじゃないですか?」とか「パッケージはこうしたらいいんじゃないですか?」とか、能登の企業のアドバイザーみたいな感じで活躍できるのではないかと思うんです。
森山:すごい!
多田:2ヶ月くらいそんな感じで地域の勉強やマーケティングリサーチしたり、お店の売り上げを上げる。多田屋に帰ってきてからは、「売店でこんなことやってみましょう」とか、「食材こんなのいれてみましょう!」みたいな感じで活動報告をして、関わった会社と取引していくようなことが出来たら、新しい旅館の形になるのではないかなと思っています。
森山:いいね!そしたら御祓川いらんくなるね(笑)
多田:いや!いらんくならないでしょ?(笑)
多田・森山:(笑)
多田:そんなことができると、働いてる従業員も目線が旅館だけでなく、より能登に向くようになる。
森山:向くね。
多田:旅館としてお客様を通じて、能登の魅力を発信する期間と、能登の魅力発見・魅力づくりに注力する期間というように、地域に様々な確度で貢献する期間のメリハリを作る。そういうやり方もありなのかなと。それで徐々に休館日をいま増やしていっているところです。
森山:旅館的にはすごい挑戦ですよね?まだあまりないですよね?
多田:うん、その辺もしなしなーっと始めていく旅館なんですよ(笑)。
森山:しなしなーって(笑)。
*しなしな〜っと=さりげなく
多田:初めて露天風呂を和倉に作ったのは多田屋。休館日を定期的つくったのも和倉の旅館では僕が多分初。そういう風にして、多田屋って勝手にいろんなことに挑戦する旅館なので面白いかなと思います。
森山:まさに、この地域におけるイノベーターですよね。まだ誰もやっていないこと、これまで作り上げられてきた形を作るというよりは、新しい形を生み出していく開拓者のような存在な気がします。
多田:既存のスタイルでうまくいくものがあるんだったらそれでもいいと思ってるんですけど、そのスタイルがない場合、できるかできないかやってみたら面白いと思っています。
森山:健太郎さんが社長になってどれくらい経ちましたっけ?
多田:もう、丸4年。(※2019年8月取材時)2019年9月で5年目に入るかな。
森山:自分で取り組んできたことが徐々にうまくいき出すと、自分の経験、過去の栄光にすがって、そこに留まってしまいそうな感じがするんです。多田さんはそうならないように常に心がけてることはありますか?
多田:そうですね 。ありきたりなんですけど、成功したと思ってないということですかね。
森山:なるほど。
多田:常にバタバタしながら4年経ってる感じで、やりたいこととやるべきことに挟まれながらいつも進んでいるので。だからあまり、「達成した!」という感覚がないですね。
森山:私は、「ずっと続けていけば、いつかバタバタしない日が来ると思って、頑張ろう!」と最初やってたんだけど、途中で「あれ?」ってなったんですよね(笑)これは多分、達成して安心できる状態ってこないんだということに気づきました(笑)。
多田:本当ですか(笑)。
森山:何年後かには出来上がりの図を描いていたので、これに気がついたときに愕然としたんですよ(笑)。
多田:分かる分かる。僕それきっと50歳で来ると思います(笑)。僕は、50歳までに僕がいなくても旅館が回るようにするつもりでいるので、その歳になったときに「あれ抜けれない、、」って気づくと僕は愕然とすると思いますね(笑)
森山:そうなんやね、心休まることないですね。
多田:そうですね。だからニュートラルで仕事できる精神状態を保つために、どうするべきかはすごく経営者として大事。仕事から離れる時間をちゃんとつくることも必要だと思います。
森山:最後に、能登の人事部(株式会社御祓川)に期待することはありますか?「もっとこうしなさい!」とか全部承ります(笑)
多田:御祓川さんにはとても助けていただいています。新しい情報やニュースになっていること、周りはいまこんな流れがあるという話について、情報共有をしたいと思いますね。バンコ(御祓川大学)のイベントも参加したいし、主催したいなーとも思ってます!
森山:えー嬉しいです!ぜひバンコにお越しください。そして健太郎さんと情報共有をしながら、能登を元気にしていけたらと思います。今後とも、能登の人事部、株式会社御祓川をどうぞよろしくお願いいたします!
■編集後記
対談では、終始自然体でお話してくださりました。地域とともに多田屋が成長していくための様々な構想をお持ちで、そのための準備を着々と進められていると感じました。多田さんは、地域のイノベーターであり、地域のこれからの方向性を自ら体現し、様々な方向に向けて発信し、能登のニュースを生み出す存在であると思います。これからも能登に新しい風を吹かせてくださることでしょう。多田屋、多田健太郎さんの挑戦に今後も目が離せません![