一軒の農家民宿をまちづくりの拠点として、次世代に地域未来のバトンを繋げたい【梢正美さん】

関西の短大へ進学し就職。「ふるさとを元気にしたい」と2008年に志賀町にUターン。

現在は昔ながらの里山暮らしが残る志賀町で、地域のなかとそとの人をつなげるプロジェクトマネージャーとして、まちづくりを展開。人との出会いは「生きるパワー」と語る梢さん。

2008年から株式会社御祓川と共にチャレンジを続け、くまの地域の未来を繋いでいく架け橋として、日々奔走されている梢正美さんにお話を伺いました。

☑ プロフィール(基本情報)
【お名前】梢 正美さん
【ご出身】石川県羽咋郡志賀町
熊野地区の兼業農家に生まれ育つ。高校卒業後、関西の短大に進学し観光業に就職。
「ふるさとを元気にしたい」との思いと、2008年の結婚を機に、実家のある志賀町にUターン。
2013年に「農家民宿 古民家 こずえ」を両親とともに開業。
http://dream-concierge.com/kozue/】
『ここは繋がる場所 人と自然と暮らしと』をコンセプトに、ピザづくりやダッチオーブン体験ができる民宿を経営。
農家民宿を地域づくりの拠点として、熊野地域のまちづくり活動を展開。

【株式会社御祓川との関係】
能登スタイル立ち上げでプロジェクトのメンバーとしてブログを担当(2008年)
※能登スタイル:能登にある魅力的な地域や風景、手仕事にこだわった“ものづくり”などの情報を全国に発信するプロジェクト。
【http://www.notostyle.jp/】

「農家民宿 古民家こずえ」にて能登留学インターン生の受け入れ(2014年~現在)
※能登留学
大学生向けのインターンシッププログラム。課題を抱えている企業の現場に、インターン生が入り、地域や企業が抱える課題に取り組む。インターン生は、期間限定のプロジェクト担当者として活動する。
【https://notoryugaku.net/】

-関西からUターンをして、どうして地域づくりを始めようと思ったのですか。

地域づくりを始めようと思った理由は、故郷(志賀町)の消滅危機を感じたからです。消滅危機を感じた理由は、保育園、小中学校の統廃合のみならず、高校の再編成があり、子供が集落から減っているという現状を痛感しました。また、人口の6割が65歳以上の方々で限界集落の状況でした。
地元の人が、「もうその先は消滅しかない」と嘆く声が聞こえ始めて、「ふるさとを守らなきゃ!」という熱い思いが湧き上がってきました。

-経営されている「農家民宿 古民家こずえ」は、何を大切にしていらっしゃるのでしょうか。

農家の暮らし(里山暮らし)をそのまま体験してもらい、農家の生活の中に入ってもらうことを大切にしています。志賀町の里山暮らしや民宿での体験の中で、「能登は優しや土までも」という言葉にあるような優しさやお客様を思う気持ちが感じ取られるところが、この農家民宿の良いところではないのかなと思います。

【古民家こずえのお手製の看板】

-熊野地区に戻ろうと思った決め手は何だったのですか?

「覚悟」ですね。一つは、結婚がきっかけです。ちょうど38歳の時に結婚を機に地元の志賀町に戻ってきました。その時に私は「地元への恩送りをしたい」と、自分の折り返しの人生を考えました。

-その時に、熊野地区で地域づくりをするイメージはついていたのですか。

当時、「地域を元気にしていきたい」という思いだけでした。漠然とした思いしかなかったですが、まずはそとから若者を呼びたいと思いました。

-どうして若者を呼びたいと思われたのですか。

若者はエネルギーにあふれているから好きです。次世代にこだわる(若者を呼びたいと思う)理由については、地域づくりを始めて地域の人と関わってきたことから感じました。なぜなら、地域というのは年配の方から中間世代、若者の育成へというように、人生の先輩から次世代へ伝え、引き継いで行く”地域の人育て”の仕組みがありました。その仕組みがあることによって昔は地域の祭りも盛んで、まちが活気づいていました。しかし人口減少の加速により、元気がなくなってしまった。それをもう一度、昔のように人がつながり、人が育つ地域にしていきたいと思いました。

-今までの活動の中で、印象に残っていることについて教えてください。

正直、つらかったことや失敗が8割ですが、印象的な感動が2割なので感動の方が勝つんですよ。

-感動が2割なのにつらかったことに勝つのですね!!感動したことについて教えて下さい。

感動したのは心が通じ合ったときかな。思いが通じ合ったこととか、助け合いや相互扶助の精神に触れた時です。周りのお陰で、私はいまやりたいことをやらせてもらっています。最初は自分の考えに対する理解は得られず反発されていましたが、分かってもらえた時には協力者になってくれました。あとは、そとから来た人に「ここが好きだ」と言って喜んでくれたり、「いいところだね~」、「ありがとう~また来たい!」と言われると、よかった!という気持ちになります。そとの人と地域の人との交流に感動しています。

-つらい時はどのように対処していたのですか?

やってみてうまくいかなければ、別の方法で結果を出そうと切り替えました。

今となってはつらいと思ったことを踏み台にしていて、仲間ができたので協力者と一緒に結果を出していくという「本気の覚悟」が生まれました。

-困難な状況の時に、仲間の存在は大きいですね。

そうですね、地域内もそうですし、地域の外でも。困難な状況の時、私にとって(株)御祓川さんの存在は非常に大きかったです。